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2019.2.6(水)講読クラス
2019年2月6日(水) 購読 陈老师  出席6名
『芳华』        严 歌苓 著
--第二节--
あれはもう30年あまり前になる。私たちの兵舎だった赤い建物に
はまだ夢があった。その多くの夢は皆美しく、恐れなど知らない
ものだった。

その赤い兵舎の2階と3階には長い回廊があって、回廊の上に
長々と庇が広がっていた。夕方に3階の回廊で練習曲をクラリ
ネットで吹いたり、バイオリンで弾いたりしながら、ふと目を
周りに移せば、階下にも庇のある回廊があり、更に目でその回廊を
たどれば、その果てには小練習室があった。その練習室を回り
こむと右側にはモチの木の小道があって、その小道で2つの大きな
バケツを天秤棒で担いでいる人をよく見かけた。その人が刘峰だ。
バケツは隣の路地に住む男の子のために担いでいた。その子は
17歳で、親はなく、路地に住む子どもたちの間では「カッコ」と
呼ばれていた。なぜなら彼が真っすぐ立つとその両脚が一対の
完璧なカッコになるからだ。子どもたちが言うには、サッカーを
するなら、その「カッコ」の両足をゴールにできるし、ボールを
蹴るとゴールの枠にボールが当たることはないのだと。カッコは
歩くときは腰かけに寄りかかる。先ずその腰かけを一歩前に運び、
次に自分が腰かけにもたれかかりながら一歩進むのだ。自分の
2本の脚と腰かけの4本の脚、合わせて6本の脚では2百メートル
の道のりを歩くのに15分かかる。毎日夕方には路地の水道水の
蛇口の鍵が開けられ水が売られる。路地の住民は皆、路地の入口
まで来て列をなして水を買うのだ。もしカッコが水を買って家に
戻るとしたら、6本の脚はさらに忙しくひどいことになる。バケツ
を動かし、腰かけを動かし、最後に自分のあの2本の「カッコ」の
脚を動かさなければならない。ブリキのバケツに半分水を入れても
家に着くころにはバケツの底に少し残っているくらいになって
しまう。カッコは水を汲めなければ話にならない。家の古いかまど
で沸かして、お湯を売るのが商売なのだ。刘峰は毎日私たちの庭で
水を2回天秤棒で担いでカッコに届けていた。指導者が問い正すと
刘峰は、私たち軍隊の水道水はいずれにせよ無料でしょう、と
言った。指導者はちょっと考えるとそのとおりだなと感じた。
軍隊は食べることから着るものまで人民から与えられている、
軍隊が少しのバケツの水を人民にあげるのだ、あげられないとでも
言うのだろうか?カッコのように独りぼっちで貧しい身障者の人民
ならなおさらだ。ある夏の終わりの夕方に、屋根のない走廊で
みんなが食後の腹ごなしでぼんやりしていると、手持ち無沙汰の
視線の中を刘峰が行ったり来たりしていた。天秤棒の2つの大きな
バケツは満杯なのに刘峰は一滴だってこぼさないで担ぐ事ができる
のだ。お腹いっぱい食べたトロンボーンの高强はゲップのように
低くこもったような音を鳴らしながら、モチの木の小道を軽やかに
去っていく刘峰の小さな姿をぼんやりと眺めてため息まじりに
言った。「はあ〜、なんだってあいつは疲れをしらないんだ?
なんて名前だっけ?」側にいたベースの曾大胜が言った。
「刘ーーー峰。」トロンボーンの高强はさっきのトロンボーンの
音のように長くひっぱって言った。「LiーuーFengーーー私は、
チッ!もう一人の雷又锋です、か。」

刘峰はこうしてそのあだ名、雷又锋を手にしたのだ。

私が初めて刘峰のことを近くから子細に観察したのは彼が私たちの
団に転属になってほどなくだった。その日の昼食がもうじき終わる
ころ、一人の人が木づちで床板を打ち付けていた。床板はどの
くらい古くなってたかって?こちらで力をいれてちょっと跳ねる
と、あちらの食卓の鉢がみんなひっくり返ったり、少なくとも
ガタガタするほどだ。木づちを打っていたのはまさに浮き上がって
話にならないような床板のところだ。その古い邸宅の90年以上前の
主人は軍閥で、住んでいたその赤い建物を兵舎として私たちに提供
した。20世紀の20年代は2階建てで、一人目と二人目のお妾さんが
住んでいた。30年代初めにさらに3人目のお妾さんを娶り、その
主人は2階の上にもう1階加えたのだ。東北地区では「満州事変」
が起こっていたが、西南地区はこれまで通りお妾さんなど
かこって、どんな危険や災難があろうと、成都ではみんな幸せを
享受し、苦労などなく過ごしていた。昔の事情を知っている人が
よく見れば、3階の赤い色は下の2階とわずかな違いがあった。
同じような赤いレンガを使って、赤い建物から一本の道が敷かれ、
上は青い瓦の庇で、両側には鉄色の木の柱があり、一軒の東屋
まで真っすぐにつながっていた。私たちの小練習室はその東屋の
土台の上に増築されたもので、そのため外観は変わっていて冬は
寒く夏は暑かった。再び入口の方へ進むと、私たちの食堂が
あった。昔はお妾さんたちの芝居小屋だったのだが、後に
抗日戦争になると成都は大後方となり、舞台は解体されてダンス
ホールに改造された。この内庭には馬牽き、女中、ねえやたちの
部屋があり、その造りはみな丁寧なものではなかった。解放軍が
平和裏に四川を開放した時にはすでにほとんど崩壊していた。
とり払われ、2列の平屋が建てられ女中やねえやの部屋に比べて
もさらに簡易なもので、その新しい住人は家族連れの文化宣伝工作
団の幹部だった。最も新しい建築が私たちの練習室だった。それは
大練習ホールと呼ばれ、60年代の建築で、一目でわかる正に当時の
スローガン、「多く、速く、立派に、無駄なく」の産物だった。
この日のお昼に、いつものように、私たちは一つ一つの小さな
テーブルを囲んで、空になったお椀やお皿を前に腹ごなしをして
いた。おしゃべりをして、男女の兵士たちが冗談を言ったり
からかったりしていて、話ていることなんて、どう聞いたって
いい、聞こえたままだと思っていいようなものだった。誰も刘峰が
やっていることなんかに感心はなかった。

なぜ私が刘峰のことが気になったかといえば、左右違った靴を
はいていたからだ。右には軍隊で支給された揃いの兵隊用の黒の
布靴をはいていて、その形は旧解放区のおばさんたち向けの
デザインだった。左にはいていたのは汚い白い柔らかい底の稽古
用シューズだった。後でわかったのだけれど、彼は左脚だけで
回転するのがうまくできなくて、構えるとすぐに傾いてしまった。
だから彼は暇さえあれば何回も回る練習をしていて稽古用シューズ
がいつも用意されていたという訳だ。木づちを打ち終わると、刘峰
は柔らかい底の靴で床板をちょっと踏んで、次に硬い底の靴で
激しく踏みつけ、最後に数回木づちで打つとやっと立ち上がる。
彼が真っ直ぐに立ち上がると、その身長への期待は裏切られること
になる。彼があんな風に座ったりしゃがんでいるとその背丈が結構
あるようだけれど、立ち上がると「そんなに高くないんだわ。欠点
は脚ね、脚が長くないわ。」と心の中でつぶやくことになる。
だけど、とんぼ返りに長い脚は邪魔だ。まさに刘峰はこのとんぼ
返りの上手さで劇団に選ばれたのだ。元の所属はある野戦軍の工兵
の兵営だった。刘峰のとんぼ返りは子供の頃にしこんだものだ。彼
の苦難に満ちた子供時代は县のある地方劇団で過ごされた。山東省
のある貧しい县は刘峰の話では「貧しすぎて着るものもないんだ
よ!」その地方劇団に入ってとんぼ返りを教えてもらわなければ、
彼もまた着るものもないような子供時代を過ごしただろう。

今後の予定
2月13日 お休み(変更です)
2月20日 短編『裱画徐』p141-143
2月27日 短編『谁送来烤红薯』p144-146
3月6日  長編『芳华』第三节
author:多摩中, category:講読編, 01:10
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